エヌの解放

40代独身女の適当な日常です。

それを私は「優しさ」だとは認識できていなかった。

「てんや」で告白された、という友人を思い出しました。

あの天丼の「てんや」です。

その前に、話は私の学生時代に遡るんですが、当時私はサークルのOBとお付き合いをしていました。私が2年生、向こうは社会人1年目でした。その彼氏と私、そしてサークルの後輩の女子数人でご飯を食べに行ったときのことです。メニューを見ながら「何が食べたい~?」などと普通の会話を繰り広げ、それなりに楽しい時間を過ごしたと思います(そこはどうでもいいので覚えていない、、)。

店を出ると一人の女の子が、

「〇〇さん(私の名前)の彼氏、優しいですね♪ 何が食べたいか聞いてくれるんですね」と言ってきたんです。

私は「キョトン、、、」です。それを察したのか、

「だって、〇〇さんの気持ちを尊重してくれるんでしょ? いいな~♪」

という具合です。

一体どんな人生を送ってきたんだ、と。

いや、ほかに褒めるところがないから社交辞令で言ったのかもしれませんが、その可能性は置いといて。

私にとっては初めての彼氏だったので、他の男性と比べることはできませんでしたが、それまで誰と食事をしたって、メニューを自分で決められないなんてことはありませんでした。今でもそれは同じです。彼女はどんな人生を歩んできたんだろうと、当時まだ私たちは20歳前後でしたが、彼女の人生にしばし思いを馳せました。年下でしたが私より大人っぽくて、私と違って恋愛経験もありましたし、その後も「オレ様」なOBの男性と付き合ったりしてました。翻弄されてかなり悩んでいるようだというのは風の噂に聞いていましたが、相談を受けるほど親しくはしておらず、遠くからときどき気に掛かってはいました。彼女はどこか陰のある子で、微塵も陰のない私は、そんな彼女がちょっと羨ましいと思うほどに子どもでした。

で、話は「てんや」に戻るんですが、社会人になってから同僚の女の子(年下)から恋愛相談を受けまして、どうやら上司に「てんや」で告白されたらしいんです。当時その話を聞いた我々女子数人は、「てんやかよ!」と突っ込まずにはいられませんでしたが、それよりも私が気になったのは、全てをその男性が選んだということでした。

仕事帰りにご飯に誘われた彼女は、

「てんやでいいよね」と連れて行かれ、

「〇〇丼でいいよね」と勝手に同じ物を注文されたと言うのです。

てんやで告白するのは別にいいんですよ。確かにムードはないかもしれないけど、2人が納得しているならどこだっていいです。それよりも、選択権を与えない男に恐ろしさを覚えました。それが無意識だろうが意識的だろうが、恐ろしいことには変わりありません。食べたい物を選べないのも苦痛だし。

でもそれは、私の価値観であって、2人がその関係に心地良さを感じているのなら、問題はないのかもしれません。私は食いしん坊だから、食べたい物を選べないのは苦痛だけど、食に興味のない人もいますもんね。それに、男性が女性に選択権を与えないからといって、それが女性を支配していることにはならないかもしれません。「男らしく振舞わねば」という無言の強要を感じて苦しんでいる男性もいるかもしれない。

てんやで告白された同僚の話を聞きながら、私は学生時代のあの子のことを思い出していました。「大切にされてて羨ましいな~♪」と言った彼女は、別に大切にされたことがないわけではなく、何の気なしに言ったのかもしれませんが、私は妙に印象的だったんです。と同時に、その彼氏の優しさを優しさとして受け取っていなかった私は傲慢だったんだろうか、と。その私の能天気な傲慢さが、最終的には別れを引き寄せたのかもしれないと思ったりしました。大袈裟ですかね(苦笑)。

些細なことでも感謝できる気持ちを忘れなければ、思いやりを失うことはなかったのかもしれません。