エヌの解放

40代独身女の適当な日常です。

生活が自堕落なときは、ある意味、心が安定している気がする。

怠惰な生活を送っております。

なんとか起きて仕事へ行き、心を無にして働いて、怖いぐらい定時きっかりに退社。定時を過ぎたら、電話すら取りません。手隙の人間がいなくて電話が鳴り響いていようとも出ない。そして退社したら、職場or職場の人間からの携帯への電話も一切出ません。そんな責任ある立場にいないので、急を要する要件なんてあるわけがないんです。どうしても必要なら、電話に出られないとなればメールをしてくると思います。以前は、休日や退社後の電話にも出ていたんですが、全然たいした内容じゃないんです。ひどいときなんて、退社後すぐの上司からの着信に気付かず、しばらく経ってから慌てて折り返したら、

「雨が降ってるか聞きたかった」ですって。

(「友達じゃないから!」)と心の中で呆れましたが、その場はきちんと対応しました。私だって何も、天候を聞かれたくらいじゃキレません。それまでの積み重ねがあっての、「そんな用件で電話するんじゃない!」に繋がっているんです。というのはちょっと苦しい言い訳か、、、。

帰宅後は自分一人分の夕飯を作って、食べたらもうスイッチが切れます。洗濯は朝だったり夜だったり。食後はコーヒーとお茶菓子でボ~っとして、ちょっと横になるか、と思ったらもう朝!みたいな生活です。当然、お化粧も落とさず寝てしまうこともある。40手前で化粧も落とさず寝るなんて、もう地獄ですよ。翌日の自分の顔が、地獄。

しばらくこんな生活が続くと、「こんなことじゃいかん!」と思い、似非リア充みたいな生活をするんですが、長くは続かずまた地獄へ逆戻りです。そんなことの繰り返しで人生が過ぎていきます、、。

まあでも、自堕落な生活が続いたときは自分を責めず、「そいういうシーズンなんだな。自分、お疲れ!」と思ってやり過ごすしかないです。

でも、自堕落な生活が続いているときって、ある意味で心が安定しているような気もします。何か心を占める辛いことがあったり、忘れたいことがあるときほど、きちんとした生活をして、少しでも生活で気を紛らわせたり、規則正しい生活をすることで心の安定を保とうとしているような気がするんです。心が乱れているときほど、きちんとした生活のリズムが大事なんじゃないか、と。そのうち、その淡々とした生活のリズムにつられて、心のリズムも戻ってくるかもしれない。あるいは、生活を変えることで、「やればできるじゃん。自分、まだ大丈夫じゃん」と思えるような状況を作り出すこともあります。それは例えば、普段は食べない朝ごはんを作って食べるという「時間」を作るとか、人から見たら「そんなこと?」っていう些細なことだったりするんですが、私にとっては大切なことだったりします。だから何て言うか、「自堕落じゃいかん!」なんて、幸せな悩みかもしれないなぁと思ったんです。

いい歳して一人暮らしを始めて思ったのは、「生活」って本当に尊いものだったんだなということかもしれません。辛いときも楽しいときも生活はしていかなきゃならないし、それがあるからこそ救われたり、忘れることができたこともありました。実家にいて、掃除も洗濯も料理もしない私は、「生活」というものを感じることができていなかったんだと思います。もしかしたら、いい歳して実家を出たからこそ、感じられたことかもしれません。もしそうだとしたら、いい歳して実家を出るというのも悪くないかもな♪、と思いました。結構ポジティブだな、自分。

結婚でもしない限り一生実家を出ないだろうと思われていたので、一人暮らしを始めたときには友人たちに軒並み驚かれました。父親と人生初の大喧嘩をしたり、恋愛でちょっと行き詰っていたり、いろいろ重なって実家を出たんですが、心のどこかで「生活にまみれたい」と思った部分もあったと思います。地に足をつけて生活をすることで、このモヤモヤが晴れるんじゃないか、そんな期待をしていたのかもしれません。今思えば、ですけどね。でも実際、「生活」をすることで私の中に一本の柱ができたような気はします。これ(生活)は何があってもとりあえずしなきゃ生きていけないもので、それを軸にいろいろなことが成り立つのかもな~という、フワっとした柱です。何もないときは意識する必要がなくて、でもいざというときには支えてくれる基盤のようなものかもしれません。

uchuotsukuruotoko.hateblo.jp