エヌの解放

40代独身女の適当な日常です。

一汁一菜が心地良い理由。

箱根駅伝青山学院大学の三連覇で幕を閉じましたね。

学駅伝三冠と箱根駅伝三連覇の同時達成は史上初だそうです。途中ブレーキもかかったりしてヒヤヒヤしたんですが、無事に優勝できてよかったです。母校でもないし知り合いすらいないんですが、何故か応援してしまいます。東洋も応援しているので、また優勝できるといいなぁと。

私は1年浪人して大学に入っているんですが、もう後のない(2浪はないと親に言われていたので)2回目の受験のときは8校9学科を受験しました。その中に東洋大学も入っています。とにかく受からないとまずいと思った私は、比較的偏差値の低い学科を選んで受験したわけなんですが、まったく興味の持てない分野では4年間ツラいと思ったので、学部の中では偏差値が低めで面白そうな学科を選んで受けていました。ドイツ文学科、演劇学科、キリスト教学科、インド哲学科など、そちらに進んでいたらどんな勉強をしていたんだろうと、ふと思うことがあります。出会う人間が違えば、人生もまったく違うものになっていたかもしれない。今の自分に不満があるわけではないんですが、他にも道があったのかな~と思うことが、なくはないです。

でも、人の人生なんて、結局なるようにしかならないというか、どの道を通っても最後はほぼ変わらなところに到達するのかな~という気がします。物理的な到達点は違っても、精神的な到達点はそれほど変わらないんじゃないか、と。

なんかこう、大きな視点から見たら(神様とかは信じてないけど)、私の人生なんて水面に波紋すら生み出さないほどちっぽけなものなんだろうなと思います。必然も偶然も含めて過去の自分の選択に思いをめぐらせても、意味なんてないんだろうな、と。ただ黙々と毎日を生きていくだけです。でも、それが結構難しかったりするんですけどね、、、。

最近実行している「一汁一菜」は、その黙々と生きることに近い気がして、気に入ってます。ほんの一瞬だけでも雑念が消えて、穏やかな時間が感じられるんです。「今日の一汁一菜は何にしようかな~」と考えている時が一番、余計なことは考えずにシンプルな思考になっているような気がします。

過去を振り返っても意味はないと言いつつ、インド哲学科だけはちょっと未練があります。もしかしたら今頃、服装も違ってたかもしれないですよね。