エヌの解放

40代独身女の適当な日常です。

つきまとう「思いやり問題」。

自分、情緒不安定だったらどうしよう。そんな不安が湧き上がりました。自分で言っているうちは大丈夫かな(笑)。毎日毎日感情の起伏が激しくて、もしかして周囲から情緒不安定だと思われているんじゃないかと不安になったんです。感情の起伏が激しいのと情緒不安定とは別物でしょうか。さらに、この数ヶ月ブログを更新してみて、なんか一貫性がないというか、フラフラして自分がない感じがするな~と思ったんです。自分では本音で真剣に書いているつもりなんですけどね。

自分のことって本当によくわからないなぁと思います。

昔、お付き合いをしていた男性に、「〇〇(私の名前)さんはあのとき病んでたから」と言われたことがあります。正確には人づてに聞いたんですが、驚きました。自分では病んでた自覚なんて一切なかったので。お別れしてから数年が経っていたと思うんですが、私たちの共通の知り合いの何人かでお酒を飲む機会があったんだそうです。どうして別れたのか聞かれた彼が、上記のように答えたというんです。「あのときはちょっと病んでいて、思いやりとかがなくなってたんじゃないかな」というようなニュアンスだったと思います。

それを教えてくれた親友はとても怒っていました。「振られた腹いせだ」と。もともと親友のその子は、その彼のことが大嫌いだったんです。自分の親友が大嫌いな人と付き合うということが、最初から不安でした。自分は何かを見誤っているのではないか、、、と。

彼女は怒ってくれましたが、私は不安になりました。自分では気付かなかったけど、もしかしたら本当に病んでいたんじゃないだろうか、と。だって、自分が病んでいないという確証なんて、どこにもありません。彼が言う「思いやり」って、どいういうことだったんだろう。

当時、彼のお父さんは入院していて、意識のない状態がもう何年も続いていました。さらに、妹さんが癲癇の発作で職場で倒れてしまい、妹さんの将来にも不安を抱くようになっていました。妹さんには彼氏がいて、その彼が支えてくれていたようですが。長男として、彼の背負うものはどんどん大きくなっていたと思います。そんな大変な状態だったのに、2人でそのことについてたくさん話した記憶がないんです。私には話す気がなかったのか、私がそういう空気を作っていなかったのか。今となってはわかりません。お見舞いにも行かなかったし、妹さんやお母さんに会うこともないまま別れてしまいました。

話を聞きたくないわけじゃなかったし、興味がないわけでもなかったけど、「踏み込んだら悪いかな」という気持ちが一番大きかったと思います。ナイーブな問題だし、他人の私に踏み込まれたくないかなと思ったんです。結局私は、受け止める自信もなかったのかもしれない。だから、多くは聞かないけど傍にいよう、向こうが話したくなったら聞こうと、綺麗事を決め込んでいたのかもしれません。

彼に精神的な余裕がなくなり、それに気づかずに私が彼に対して物足りなさを感じていたとしたら、やはり私に思いやりがなかったということになるのかもしれません。

あるとき、職場の同僚に、「◯◯(私の名前)さんにとって、”思いやり”ってなに?」と唐突に聞かれたことがあります。私はドキッとしました。また「思いやり問題」か!と。そのときは当たり障りのない答えを返したと思います。彼女が何故そんなことを聞いたのかわからず、また私は自分で気付かないうちに人に対して何か思いやりのないことをしたんだろうかと、ドキドキしました。結局、彼女が何故そんな質問をしたのかは、わからずじまいです。

自分では気付いてないけど情緒不安定なのかもしれないなぁと思ったら、自覚はないけど「病んでた」と言われたことを思い出してしまいました。この2つの出来事があってから、自分は思いやりのない人間なんじゃないかという不安が、ときどき頭をもたげます。